成長は時間の経過によって花開く メモ(自分用) | D*TRADE

成長は時間の経過によって花開く メモ(自分用)

~挫けてしまいそうな自分へ~


著書: デイトレード 著者:オリバー・ベレス グレッグ・カプラ 監訳:林康史 藤野隆太

第3章 「逆境」と「損失」 より引用


成長は時間の過程によって花開く


奇妙に感じるかもしれないが、成長途中にあるトレーダーは、個別の取引きの結果によって、自らの成長や成功を判断してはならない。個別の取引きの目的は利益を上げることであり、勝つ回数が負ける回数より多いトレーダーが成功したトレーダーであることは確かである。

しかし、勝ち続けるトレーダーというのは、勝者の中でもさらに上位に位置している。

換言すれば、トレーダーは勝つことによって成長するわけではない。トレーダーは成長しているから勝つのである。勝利は、長い間の成長過程という旅路を無事に経た後に咲く花のようなものだ。

この旅路の最中にはほとんど勝つことはないし、旅路の前には勝ちようがない。その旅で一歩一歩成長しながらも、それでも依然として負けているのが普通である。

実際、負けていることが成長の糧となっているのである。大きな成長を遂げているにも関わらず、トレーダーとしての客観的な成功、つまり、取引きで利益を上げることが出来ないでいる。これは成長が当初、水面下で生じるからである。それは徐々に、密やかに自らの体内で育つ。

母の胎内で育つ子供が9ヶ月目くらいまでは外から見てもわからないようなものである。


残念ながら、多くのトレーダーが苦痛を伴う損失の中で成長していることを認識していない。彼らは損失を被るたびに成功へ一歩近づいていることに気づくことが出来ないのである。

この近視眼的な思考の結果、まさに成長途上にある時に脱落し、トレーディングをやめてしまう。


自らの内面的な成長を外面的な勝ち負けで判断することは間違っている。同じ負け方を何回するかによって判断するほうが成長を測る尺度としては適している。繰り返して言おう。

成長を図る尺度としては、同じ負け方を何回するかによって判断するほうが妥当である。

負けたこと自体は進歩していないことを示すものではない。適切に対処すれば、いずれ負けは勝ちに道を譲る。そして、無意識のうちに、熟練の域のかすかな光を感じることができるようになる。

しかし、熟練は生まれ育つものであることを決して忘れてはならない。熟練は瞬間に出来上がるものではない。熟練は力と実質を身に付けるサナギの期間を必要とする。これを理解することができた者は生き残る確立が高い。勝つためには生き残らなければならないのである。


POINT

庭師が花の種を植える時、種は地下で成長することを知っている。庭に何も生えていないのを見た者はがっかりするかもしれないが、庭師はがっかりはしない。庭師の顔には自然への深い理解に基づく笑みがある。彼らは外面的には成長過程を確認することが出来なくても、内面的に成長の奇跡が生じていることを知っており、安心できるのである。すぐに、この隠れた成長が外界に姿を現す。時期がくれば美しい花が咲くのである。我々は向上心のあるトレーダーを育てる庭師である。我々の生徒の心に植えた種は芽を出すのに時間を要する。しかし、いったん芽が出れば、成長の奇跡が始まるのである。これまで我々は成長の奇跡を数え切れないほど目撃してきた。成長をはっきりと自覚するのは難しい。

内面で素晴らしい成長が生じているにもかかわらず、トレーディングで勝てないがために失望することもあるだろう。しかし、長期にわたって失望し続けないように努めてほしい。自らの精神をなだめ、恐れを和らげ、成長過程が完了するまで生き残るのだ。そうすれば、素晴らしいトレーダーが出現し、生き残った者が最終的には勝つという事実の生ける証拠となるのである。